RENK東京サイトに掲載された
佐藤悟志の文章(2003.06.01 初出
発表先サイト消滅のため加筆のうえ
自己掲載しました。 2013.01.07





不正義の平和よりも正義の戦争を


〜4・20RENK声明
「フセイン政権の崩壊と北朝鮮」
を批判する〜


佐藤悟志(RENK会員、東京)



 映画『戦場のピアニスト』の後半、ポーランド市民がナチスに抗する武装反乱に決起する場面がある。いわゆる「ワルシャワ蜂起」である。

 「ワルシャワ蜂起とは、簡単に言えば第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下のワルシャワでポーランドの地下組織軍がナチスに対して起こした抵抗運動である。
 第二次世界大戦中、ナチス占領下にあったワルシャワには国内軍と呼ばれる地下組織が存在していた。1944年8月1日、この国内軍がドイツ軍に対して一斉蜂起した。到底勝ち目のない戦いを挑んだ裏には、同市の中心を南北に流れるヴィスワ川の対岸まで、ソビエトの赤軍が迫ってきているという事実があった。
 ところが、蜂起が始まってもソ連赤軍は国内軍を全く助けようとしなかった。何故か。実は、スターリンがポーランド国内軍主導によるワルシャワ解放ではなく、ソ連赤軍のみによる解放を望んでいた、と言う説が最も有力だ。赤軍が首都を解放すれば、その後自分達の息のかかった共産主義政権を樹立しやすくなる。(国内軍は英米寄りのロンドン亡命政府の支配下にあり、反ソ色も強かった)
 結局63日間続いたワルシャワ蜂起は、赤軍の助けを得られず失敗に終わった。蜂起失敗後、ナチスは残されたワルシャワ市民を大量虐殺した。更に、組織的・能率的にワルシャワの街を破壊し尽くした。実にワルシャワの95%がこの時破壊されたと言う。また、蜂起によるポーランド側の死者はワルシャワの当時の人口の5分の1にあたる20万人にのぼった。
 翌45年の1月になって、ソビエト赤軍はヴィスワ川を越え、ワルシャワを解放した。そしてその後、ご存知の通りポーランドは89年まで社会主義国家となったのである・・・・」(「勝瞬ノ介:ワルシャワ蜂起記念日に思う」より)

 要するに、独裁権力の強化と政治利権の拡大のみを常に欲望するアカの軍隊が、自分達にとって都合の悪い人々を見殺しにすることで皆殺しにしたという、まあありがちと言えばありがちな事件である。

 ここからくみ取らなければならない教訓は何だろうか?。収容所国家の内部で必死のサバイバルを続ける人々に呼応し連帯するために、外部の人間はまず何を為すべきなのだろうか?。

 それはもちろん「外部からの進撃」である。外部の人間はまずもって、一日でも一分一秒でも早く、収容所国家に対する武力介入を行わなければならない。そのことをこそ、この歴史上の出来事は教えているのである。

 逆に言うこともできる。「ナチス」占領下で人々がギリギリの抵抗を続けているときに、にもかかわらずそれを知っている外部の人間が、外からの進軍を組織してこの戦いに合流しないことは何を意味するか。それはもちろん、極めて重大で犯罪的に悪質な裏切り行為、圧政と虐殺への加担を意味する。

 そして、人権というものが歴史も国境も越える普遍的な価値である以上、この教訓は今日の極東アジアにおいても全く変わらない。この日本で、われわれが安穏と繁栄を貪っているこの間にも、北朝鮮では哀れな政治犯や貧しい孤児たちが、地獄の苦しみの果てに力つきて餓死し、病死し、或いは射殺され、撲殺され、生き埋めにされている。彼らの生命を救いたいなら、彼らの苦痛を終わらせたいのなら、われわれは日本における自己の政治的影響力の全てを動員して、北朝鮮への人道軍事介入の実現に尽力しなければならない。『戦場のピアニスト』の原作本中でも、ゲットーに囲い込まれたユダヤ人たちは以下のように糾弾している。

 「ここワルシャワの人々は死にそうで、ひとかけらの食べ物もない。きわめて恐ろしいことが起こっているというのに、アメリカの新聞は何も書かない。大西洋の向こうのユダヤ人銀行家にしても、アメリカがドイツに宣戦するようにしかけることなども含めて、何もしていない。そう望むなら、すぐにでも宣戦に向かわせるよう、容易に助言できるはずなのに。」(ウワディスワフ・シュピルマン著、春秋社発行、『戦場のピアニスト』、7頁)

 「ラジオが聴ける人たちからのニュースは、不幸なことに父の楽観論を立証するものではなかった。」「フランス軍はジーグフリート線を打ち破るつもりはないし、イギリス軍は、ドイツの海岸へ上陸することはもちろん、ハンブルグの爆撃を計画するだけで、それ以上のことには至らなかった。」(同、43頁)

 ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人の証言だけでは不足だというのなら、オランダの隠れ家にコソコソ隠れ住む、ユダヤ人の小娘の遺言を付け加えてもいいだろう。

 「こう言ったからって、けっして誇張にはならないと思いますが、アムステルダム全市民、オランダ全国民、いえ、南はスペインにまでいたるヨーロッパ西海岸の全住民が、連合軍の上陸作戦がきょう始まるか、あす始まるかと期待し、それについて論じあい、賭けをし、そして……希望をつないでいます。」

 「そうなんです、だれもが見たがっているもの、それは行動です。いまこそついに立ちあがった連合軍の、はなばなしい、英雄的な行動なんです。」(アンネ・フランク著、文藝春秋社発行、『アンネの日記 完全版』、513頁)

 収容所国家に囚われた人々の切なる願望が、ここには明確に現れている。周囲の国民が他人事だとばかりに過食と贅沢のなかで彼らを見殺しにする不正義の平和ではなく、周囲の国民が自らを危険に晒し、血を流してでも彼らを解放しようとする、正義の戦争をこそ、無実の囚人たちは望んでいるのである。
 にもかかわらず、今日の日本においては、いまだにそれとは正反対の、彼らの願いを踏みにじる努力が為されている。日本やアメリカの政府を「宣戦に向かわせるよう助言」するのではなく、北朝鮮の民衆を黙殺し、見殺しにするように助言する、まさしくワルシャワ市民を見殺しにしたスターリン赤軍の振る舞いの再現とも言うべき妄動が、いまだに画策されているのである。たとえばこのようにである。


1.そもそもRENKは、誰を救うための組織だったのか?。

 「仮に、これを朝鮮半島に置き換えた場合、事態はさらに深刻である。「誤爆」による北朝鮮民衆の犠牲はもちろん、南の民衆が被害を受ける可能性もゼロとは言えない。」
 「たとえ、金正日政権中枢が「自滅的な」対南攻撃を呼号したところで、実行部隊の離反がそれを不可能にする確率は高い。とはいえ、混乱のなかでわずかな間違いでも起これば、それは朝鮮民族にとって耐え難い事態の現出につながる。日本に住むわれわれにとっても、決して他人事ではない。」
 「こうした意味からも、北朝鮮の民主化に際して、今回のイラク戦争のようなやり方は決して許されるべきではないと再確認したい。」(「フセイン政権の崩壊と北朝鮮」より)

 なんとも目のくらむような、裏切りと見殺しのオンパレードである。RENKは一体いつから、「南の民衆が被害を受けるゼロとは言えない可能性」を「北の民衆が今現在受け続けている百、千、万の被害」と、同列に並べて心配する団体になったのか。まるで韓国の安全企画部の代弁者にでも成り下がったかのようである。とうとう買収されたのか?(笑)。

 「混乱のなかでわずかな間違いでも起これば、それは朝鮮民族にとって耐え難い事態の現出につながる。」とは、一体全体、何の話をしているのか?。ゴロツキ独裁デブ・金正日が、呼吸をするように繰り返す恒例のハッタリ恫喝の中にしか存在しない「原爆」の使用で、万が一仮に韓国人が三十万人ほど死んだとして、それがどうして「耐え難い事態の現出」なのだろうか?。その程度の死人など北朝鮮では既に「十発分」は出ているのではなかったのか?。さらにこのままブタ金独裁が継続して「三百万人の大量餓死」が再現される事態は、「朝鮮民族にとって耐え難い事態」ではないのだろうか?。韓国人の生命は北朝鮮人の生命より十倍も尊いのだろうか?。RENKが心配すべきなのは「朝鮮民族」だの「南の民衆」だのではなく、ましてや自らの脳髄に残存する左翼的教条のことなどでもなく、「北朝鮮の民衆をいかにして救うか?」ではなかったのか?。いつから「民族団体」に舞い戻ったのか?。

 「日本に住むわれわれにとっても、決して他人事ではない」とはさらにビックリ仰天である。RENKは一体いつから、「日本に住むわれわれ」の心配をする団体になったのか?。「第二次朝鮮戦争が起きたら真っ先に殺されるのは在日だ」などという、「腐った在日女のなれの果て」辛淑玉の被害妄想でも真に受けたのか?。そんなことが「第一次朝鮮戦争」の時に実際にあったのか?。最も虐げられた人々の心配をするよりも、過食と贅沢に満ちた自分達の安穏の心配に忙しいのは、もはや文字通りの「日帝本国人ぶり」が骨身に染み着いてしまったからではないのか?。金王朝を打倒し北朝鮮を解放するために、死をも投獄をも恐れず闘うのではなかったのか?。それとも死ぬのは金英達一人で充分だということになったのか?。

 こうした我が身可愛さ丸出しの怯えっぷりを見ていると、例の「日本人学校駆け込み事件」の時の反応を思い出さずにはいられない。食うや食わずの脱北者による必死の駆け込みをRENKが支援したことに対して、「日本人の子供にもしものことがあったらどうするんだ」などという、極めてエゴイスティックで排外主義的な罵声が、今まさに「もしものこと」以上の虐待を加えられている北朝鮮の子供数十万、数百万人の存在を無視する一部の日本人から浴びせられた、あのバカ騒ぎのことである。

 だが今、まさに「南の民衆」だの「日本に住むわれわれ」だのの身の安全のために、「今回のイラク戦争のようなやり方は決して許されるべきではない」などと北朝鮮民主化のための選択肢を狭めようとするこの文章の筆者に、それを非難する資格があるだろうか?。極限的な抑圧に日々圧殺されている北朝鮮の民衆ではなく、「南の民衆」だの「日本に住むわれわれ」だのの心配に気を回す者にとって「決して他人事ではない」のは、むしろ差別と排外主義の方ではないのか?。自己保身のための現状維持に血道をあげる、外務省極東アジア課にも買収されたのか?(笑)。


2.「ワイドショー反戦」の虚妄に振り回されるな。

 「ハイテク兵器の多用によって、かつての戦争に比べれば、非戦闘員の犠牲ははるかに減少した。にもかかわらず、否、だからこそ、「誤爆」によって犠牲となった人々の存在は際だってくる。イギリスのNGO「イラク・ボディ・カウント」によれば、イラク戦争による民間人の死亡者数は、4月17日現在で最大1887人、最小1631人である。
 「バンカー・バスター」など大量破壊兵器の巻き添えで、あるいは精密誘導装置のわずかな狂いによって跡形もなく吹き飛ばされた人々、辛くも死を免れたとはいえ、手足を失った子供たち。また、身内や知人がそうした目にあった人々。こうした人々にとって、米英の言う「イラクの自由」「解放の戦い」は、決して自らのものとはなり得ない。実際、フセイン政権の崩壊が不可逆的な現実となって以降、イラクでは米英軍に対する抗議のデモなどが発生している。」(同「フセイン政権の崩壊と北朝鮮」

 やれやれ続いては、なんとも子供じみた、テレビのワイドショー映像に踊らされた脊髄反射的な厭戦気分の吐露である。

 そもそも「手足を失った子供たち」などがタレント的にクローズアップされるのは、従軍記者やマスコミによって一定程度の自由な取材が行われ、その結果として「テレビ映えのするワイドショー向きの絵ヅラ」がどんどん日本に流入しているからに過ぎない。

 だが考えても見たまえ。イラクにおけるフセイン政権の悪行や、北朝鮮における金独裁王朝による悪逆非道の、一体何パーセントがテレビカメラに収められたというのか?。北朝鮮の収容所で警備犬に生きたまま喰い殺される子供の映像は?。「ケミカル・アリ」が毒ガスで5000人のクルド人を虐殺する映像は?。その映像がワイドショーで放送されたことがないのは、そんな事実が存在しないからなのか?。

 そもそも安哲映像が何にも増して重要な記録であるのはどうしてか?。そもそも独裁政権による人民抑圧の実情をカメラに収めることそれ自体が極めて困難だからではないのか?。逆に「手足を失った子供の哀れな映像」を我々が目にすることができるのは、外国メディアが取り放題に撮れる自由がイラクで実現し、後はカネと医療支援で解決できるほど問題が安易で簡単なものになったからではないのか?。その結果としてワイドショーに映るお気楽な戦争取材が、どうして「安哲映像」よりも重要視されなければならないのか?。我々が心配しなければならないのはむしろ、テレビで放送されない、ビデオカメラにも記録し得ない、鉄条網と警備兵によって山奥深くに隠蔽された、外国メディアが近寄ることも出来ない場所で苦しめられている人々のことではないのか?。

 もちろん誰の心配をしようと人間は自由である。いい絵ヅラもなく手足が無いわけでもない、ただ背が伸びていないだけの小汚い脱北者の子供などよりも、ワイドショーでお馴染みの手足のない子供をネタにした方が運動し易いカネも集めやすいという者は、そっちの運動をすればいいだろう。だがそれは、RENKでやる必要などどこにもない運動だ。

 「跡形もなく吹き飛ばされた人々、辛くも死を免れたとはいえ、手足を失った子供たち。また、身内や知人がそうした目にあった人々。こうした人々にとって、米英の言う「イラクの自由」「解放の戦い」は、決して自らのものとはなり得ない。」(同「フセイン政権の崩壊と北朝鮮」

 結構結構。そりゃあそうだ。既に死んだ人間は何一つ手に出来ない。まったく当たり前のことである。

 で、この論者が後述する「戦争なき解放の道」だの「北朝鮮民衆自身の立ち上がり」だのは、「餓死させられた三百万人」や「既に処刑された強制収容所の政治犯」にとって、「自らのもの」になったりすることがあるのかね?。それは一体どうやってかね?。靖国神社みたいなものを作って拝めば、「民衆自身の立ち上がり」が死人のものになるのかね?。そんなことをブタ金独裁の犠牲者が望んでいると、どうしていえるのかね?。

 少なくとも、ゲットーのユダヤ人が望んでいたのはそんなことではない。

 「ワルシャワにソ連空軍の空襲があった。誰もが防空壕に逃げた。ドイツ人たちは脅え、この空襲に怒り狂っていたが、他方、表には出せないもののユダヤ人たちが大喜びしたことは言うまでもない。爆弾が落ちるときの低く唸るような音を聞くたびに、我々の顔は輝いた。ユダヤ人にとって、この音は助けが近づいたしるしであり、ドイツ人の敗北の音であり、我々が救われる唯一の道であったのだ。私は防空壕に入らなかった。生きようが死のうがどのみち同じことだから。」(『戦場のピアニスト』、130頁)

 このように、収容所国家の囚人にとって、空爆や戦争は厭うべきことではなく、「助けが近づいたしるし」「我々が救われる唯一の道」なのである。もちろん他方、収容所国家の「看守」や「所長」にとっては、怒りや憤りの対象であるだろう。で、我々は、一体どちらの立場に立つつもりでRENKを名乗っているのか?。

 死人が何一つ手にできないならばなおのこと、そんな民間人の犠牲者がイラク解放戦争ではたかだか二千人で済んだことにこそ、我々は驚嘆し、羨望するべきではないだろうか。

 いかにも二千人の死者を喜ぶなど、常識で考えればまともなことではない。だが湾岸戦争後の反フセイン民衆蜂起では、イラク全土で十万人が殺されたのである。まともな解決を望めるような生やさしい状況にないからこそ「在日イラク人のモハメド・カッサブ氏」は「米国でも、ロシアでも、日本でも、悪魔でもいいから力を借りたい」と考えたのではなかったか。その言葉を眺めるだけで「深い絶望」を理解し共有できない者に、そもそもイラクや北朝鮮の民衆について語る資格などありはしない。安全地帯で呑気にワイドショーを見たり、「チャンスだ!」とばかりに「ピースウォーク」を楽しんだりしていればいいだろう。

 「フセイン政権の崩壊が不可逆的な現実となって以降、イラクでは米英軍に対する抗議のデモなどが発生している」などと、「フセイン政権の崩壊と北朝鮮」ではさもおおごとのように述べられているが、支配勢力に対する抗議デモが公然と行われたことが、フセイン政権下で一度でもあったのか?。今回イラクで公然と反体制デモが組織されたことこそ、まさしく英米軍によるイラク侵略戦争が、同時にイラク解放戦争であったことの明確かつ明瞭な証拠である。まさにイラク人民は、英米軍の侵略によってこそ「反体制デモを行う権利」を獲得できたのである、これが解放でなくて一体なんなのか。

 それを、反体制デモなど1メートルも歩けなかった状況の方が良かったのではないかなどと夢想するのは、まさしく根本的に世界観・人権観が転倒し、倒錯している証拠である。マルクス・レーニン主義だの共産主義だのに支配された人々の脳内でしばしば起こるこうした倒錯は今日よく知られている「左翼病」の症例だが、「学生デモが頻発する韓国は、学生デモが一メートルも存在しない北朝鮮よりもファッショ的だ」などと誤解させたものこそ、まさしくこうした倒錯的価値転倒ではなかったか?。自作自演の「企画火傷」で北の工作員から大学教授にまで成り上がった徐勝の「獄中十九年」を、十九年もの生存など全く期待できない北朝鮮の強制収容所生活よりも「困難」で「英雄的」であるかのように粉飾してきたものこそ、こうした倒錯的価値転倒ではなかったのか?。

 抗議デモに米英軍が発砲して十数人の死傷者が出たことが問題になっているが、デモに対する弾圧がたかだか十数人の死傷者で済む、のどかでお気楽な光景を北朝鮮で実現することこそ、一分一秒でも早く実現すべきわれらの夢、RENKの理想ではなかったのか?。



3.戦争なき解放の道など存在しない。

「自殺攻撃」の扇動は政治犯罪である。


 「イラク戦争の過程を踏まえるならば、これら二つの隘路を避けるには、北朝鮮内部における反乱を組織し、金正日政権の放逐を実現することを通じてブッシュ政権による介入の糸口を絶つことが必要である。」などと、件の論文ではできもしない妄想が、さながら「搾取も抑圧もない共産主義社会」よろしく開陳されている。だがしかし、頭を冷やしてよく考えてみよう。一体全体、この論者はどうやって北朝鮮内部に武器を運び込むつもりなのか。脱北者を中国から連れ出すだけで四苦八苦した末に失敗して「痛苦な反省を込めた総括」をする羽目になったことをもう忘れたのだろうか。なのに対戦車ロケットや対空携帯ミサイルを、どうやって調達し、北朝鮮内部に送り届けるつもりなのか。まさかそうした武器もなしに、人々に鉄砲を持たせただけで、命がけの武装反乱をせよと命令するつもりなのか?。

 それとも、人民解放軍内部に介入しての武装反乱などを夢想しているのだろうか?。だが秘密警察と強制収容所が支配する北朝鮮では、武装闘争どころか反政府運動すらほとんど成立し得ないことは、当のRENKが今まで宣伝してきたとおりである。一部の青年学生や若手将校による決起の噂もあったが、それがどんな末路を迎えたかも我々は聞いている。単に「何も手にできない死人」を増やしただけだったはずだ。

 そもそも北朝鮮内部には「北部同盟」ほどの武装闘争も存在しない。冷静に考えれば当たり前のことであるが、後背部に何らの根拠地も持たずして、武装闘争を続けることなど不可能である。にもかかわらず北朝鮮の周囲には、ロシアや中国など金正日の同盟国しか存在しない。武器弾薬を補給するどころか難民が逃げ込んだだけで狩りたてられるような地域を背にして武装闘争など継続できるわけがない。また仮に韓国が支援したとしても、それは当然朝鮮戦争の再開へと結果するわけだから、結局は国連軍による軍事介入と変わらない。つまるところ解放の道は戦争しかないわけである。

 これは、査察や経済制裁といった代替手段を実行するにしても同じ事である。どんな種類の圧力を加えようとも、他にネタがない金正日は戦争カードや核恫喝を振り回すしかない。だから代替手段を実行するにしてもその前提として「いつでも戦争やったんぞコラ」「原爆上等じゃコラ」という覚悟と準備と世論形成が日本やアメリカになければ、結局何ひとつ実行できはしない。「有事」や「暴発」が怖くて怯えているうちは、なんら有効な圧力を金正日に加えることはできないのである。

 否、こうした技術論以前に、そもそも道義の問題として、「北朝鮮内部における反乱」の「組織」は許されるのだろうか?。

 「北朝鮮の内部と外部をつなぐ情報経路の強化、様々なレベルでの支援と協力によって、北朝鮮民衆自身の立ち上がりを後押ししていかなければならない。」などと件の論文では述べられているが、要するにこの論者は、栄養失調でふらふらの北朝鮮人民に、武器を持たせて突撃させようというのである。

 だが、例えばアウシュヴィッツに囚われたユダヤ人その他に対して、「死にたくなければ自分たちで戦え」などと要求することのは、それ自体が恥ずべき不道徳以外ではなかろう。自分たちは安全地帯にいて、せいぜい怒鳴られたり小突かれたり殴られたりする程度の被害で済んでいるのに、一度立ち上がれば虐殺は必至の状況下にいる人々の背中を「後押し」したりする者が、どうして「北朝鮮の民衆を救う運動だ」などと自称することができるだろうか?。そんなものは、単なる自爆攻撃の扇動に過ぎない。最も弱い立場の人々を楯にし鉄砲玉にしようとする、ウス汚い政治陰謀でしかない。

 「イギリスのNGO「イラク・ボディ・カウント」によれば、イラク戦争による民間人の死亡者数は、4月17日現在で最大1887人、最小1631人」(同「フセイン政権の崩壊と北朝鮮」)だそうである。

 これこそまさしく、世界最強の軍隊であるアメリカ軍と、精密誘導兵器が為した「軍事革命」の所産たる、奇跡的な犠牲の削減である。仮に同様の軍事行動が北朝鮮で為されたとして、サダム・フセイン以上の悪政を敷き、国民を満足に食わせることすら出来ていない金正日が、フセイン以上の抵抗を為し得ると推測する理由はほとんどない。仮にゴロツキ独裁デブの核恫喝が多少は本物だったとして、それで韓国人が十万人死のうと日本人が百万人死のうと、そんなことはRENKが心配しなければならない事柄ではない。「政治的不良債権」を先送りにし、五年どころか十数年もの「太陽政策」で独裁者にモノカネを与え、収容所国家の管理運営権まで黙認して北朝鮮の人民を見殺しにすることと引き換えに過食と安逸を貪ってきたツケが周辺国住民に回ってきただけの、単なる自業自得である。

 また仮に独裁デブが誤って原爆で自爆して北朝鮮人が数十万人死んだとしても、それ以降犠牲者を出す必要がなくなることを思えば、全くもって喜ぶべき安価な「完済」である。放射能がどうの劣化ウランがどうのと「護金派」の宣伝工作員がイラクやアフガンの被爆被害を言い立てているが、そんな被害など戦後の復興が人々にもたらす恩恵に比べれば微々たるものでしかないことは、「日本に住むわれわれ」が戦後50年で身を以て確認済みだ。

 ではこうした些細な犠牲に比べて、食うや食わずの飢えた人民が、ミサイルどころか戦車も持たないで金独裁に反乱を起こした場合、いったいどれだけの犠牲者が出ると、「ブッシュ政権による介入の糸口を絶つことが必要である」などと口走る論者は予測するのだろうか。

 ちなみに冒頭で触れた「ワルシャワ蜂起」では、最終的に二十万人のワルシャワ市民が虐殺され、しかも蜂起は失敗に終わる。イラク解放戦争における民間人犠牲者の、実に百倍の死人を出すわけである。また湾岸戦争後の反フセイン民衆蜂起でも、イラク全土で十万人が殺されたと言われる。もちろんこれらの結果は当然予測すべきものである。世界最強のプロ軍人の組織と、「軍事革命」どころかろくな訓練もない市民軍と、金正日を打倒する上でどっちがより犠牲者を出すリスクが少ないかは子供でも分かる。そして、掲げる看板に偽りがないのならば、RENKが選択すべきなのは、「ブッシュ政権に金体制後の主導権を奪われなくて済む選択肢」でもなければ「朝鮮民族(を仕切る政治勢力)にとって都合のいい選択肢」でもない。もちろん、「南の民衆や日本に住むわれわれにとって都合がいい選択肢」でもない。より迅速に、より少ない犠牲で、より確実に、そしてブタ金の取りまきやら党幹部やらを取り残すことのないよう大規模に、徹底的に打倒して、「北朝鮮の民衆を救う」ことの出来る選択肢である。すなわち、米軍を主力とした多国籍軍による、プロ集団が国家権力を背景に行う武力介入こそ、RENKが望み、実現のために尽力するべき選択肢である。

 「ある建物の壁の脇に、蜂起の際のバリケードがあって、その下に人間の骸骨があった。大きくはなく、骨格は華奢。頭蓋骨の上に長い金髪が見えるので、少女のそれに違いない。髪の毛は身体の他のどの部分よりも腐敗しにくいものである。骸骨のそばに錆びたカービン銃があって、右腕の骨の周りには衣服の残りがこびりついている。赤と白の腕章で、AKという文字が撃ち抜かれていた。」(『戦場のピアニスト』、218頁)

 いかにもナチの圧制に抗し闘った人々の勇気は称賛に値する。また北朝鮮の人々が金王朝に抗して闘いぬくならば、その闘いは断固として支持され、肯定されなければならないだろう。だが同時に我々が希求しなければならないこと、それは、こうした人々の犠牲を如何に最小限にすること、一人でも少なく独裁を終わらせることのはずである。救われなければならないのは、韓国人でも、日本人でも、アメリカ人でもなく、ましてや「民族」などという政治の都合でさまよい出る架空の概念でもなく、今現に収容所国家に囚われ、圧政に苦しんでいる人々のはずだ。雑事を思い煩うのではなく、初心に返って最善の選択肢の実現に努力することこそ、今のRENKに求められている責務である。


 再度記す。


「アムステルダム全市民、オランダ全国民、いえ、南はスペインにまでいたるヨーロッパ西海岸の全住民が、連合軍の上陸作戦がきょう始まるか、あす始まるかと期待し、それについて論じあい、賭けをし、そして……希望をつないでいます。」

「だれもが見たがっているもの、それは行動です。
いまこそついに立ちあがった連合軍の、はなばなしい、英雄的な行動なんです。」


( Annelies Marie Frank 1929〜1945 

ベルゲン・ベルゼン収容所にて死亡。享年15歳。)





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