自白と捏造、ネゴトに満ちた

高倉典膳の犯行声明を断罪する!


佐藤悟志





 「ブント清算事業団」サイトに結集(アクセス)された、真の変革を目指す全ての皆さん!
 我が事業団による「聖域なき構造改革」に追いつめられたデマぶんと盗聴集団・荒岱介一派が、いよいよ苦悶のうめき声を上げ始めたようである。

 2001年9月24日、政治的孤立と組織基盤の沈下という危機的状況を、反戦運動の高揚をかすめ取ることで乗り切ろうとした盗聴ブントは、代々木公園で開催された『テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動』に組織動員をかけて潜り込みを謀った。流行りの話題をダシに使って人と金を集めまくる、タイスケ一味お得意の政治商法が例によって展開されたわけである。
 だがその企みは、元「戦旗・共産同」三里塚現闘団員の小林義也氏によって完膚無きまでに叩き潰された。単身決起した小林氏が自作ビラ『暴力を居直るSENKI派(自称・ブント)の参加は反戦の叫びを虚にする』を会場入り口で配付したことによって、襲撃テロや盗聴ゲリラをほしいままにするタイスケ一味が「テロも報復も許さない」趣旨の市民集会に潜り込むペテンの欺瞞性を、集会に参加した市民のみならず、「タイスケ・グルイズム」の支配下に囲い込まれてきた一派の「在家信者」にまで、直接暴露されてしまったからである。
 驚愕した盗聴ブントは、山根・今井らの党官僚を動員して小林氏のビラまきを妨害しようとしたが、「市民緊急行動」のスタッフにその妨害を制止された上、その様子をすっかり暴露されてしまい、組織内外に大打撃を被ったのである(小林氏のビラ及び妨害の様子)。

 この事態に恐怖した盗聴ブントは、小林氏による批判の浸透を恐れて必死の逆宣伝を行った。2001年9月27日付で「ブント」公式HPに上げられた「高倉典膳」署名の文章『9/24集会でのブントストーカー小林義也のビラに反論する』(以下「高倉文章」ないしは「高倉」)がそれである。
 だがしかし、事態に慌てふためいてこしらえ上げたこの「高倉文章」は、急造のせいかあまりにお粗末で、語るに落ちる自白に満ちた代物と化している。それはまさしくタイスケ一味の、組織維持のためならテロ襲撃すら辞さない営業テロリスト集団という本質を、問わず語りに告白してしまっている、ある意味貴重な証言とさえ言えるのだ。
 ちなみにその内容のあまりのマズさ故か、「高倉文章」は発表から5か月以上たった現在もいまだに「SENKI」本紙には掲載してもらえていない。今さらなかったことにするわけにもいかないが、かといって露骨なテロ居直り宣言を「SENKI」読者に見られるわけにもいかない。盗聴ブントの苦悩が眼に浮かぶようである。

 だが「水に落ちた犬を棒で叩け」という言葉もある。この「高倉文章」の犯罪性を満天下に暴露し、さらなる追撃をタイスケ一味に加えることを以て、我が事業団による記念すべき本年最初の清算事業とさせてもらおうではないか。

 本稿の目的は、高倉文章を主要に構成する三要素をえぐり出すことを以て、フダつきの常習テロリストである「高倉典膳」こと戸籍名・前田浩喜の本性を暴くと同時に、「対話」だの「反テロ」だのと心にもない営業トークを商売のためだけに並べ立てるタイスケ一味のバケの皮をはぎ、「左翼暴力団」の正体を晒し上げることにある。
 その三要素とは第一に高倉が、もはやツジツマが合わなくなってしまったにもかかわらず、十年一日の如く繰り返すデマ宣伝の部分である。
 第二に高倉が、以前に自分たちが垂れ流したデマ宣伝をウッカリ忘れてつい口走ってしまった自白の部分である。
 第三に高倉が、おおよそ市民社会の常識とかけ離れたテロリストならではの非常識を、左翼暴力団員の自覚の無さ故に並べ立ててしまった、ネゴトや世迷い言の部分である。
 それでは高倉の記述に沿って、順次解説していこう。


1。ペテン師高倉の捏造の産物
 「奇跡」のH君は今どこに?


 事実だけを述べていては自らの犯罪性を認めるしかないことに怯える高倉は、冒頭からいきなりペテンをぶちまける。しかも、もはやカビが生え切って犬も喰わないような使い古しのデマ宣伝である。いわく、

 「この「事件」は、「ファシストインターナショナル突撃隊長」や「売春の自由党事務局長」を名乗る、それ自身がずいぶんとふざけた人物である佐藤悟志が、97年7月8日に行なわれたロフトプラスワンでの鈴木邦男と荒岱介出演のトークに際して、ロフトプラスワン内で「ブントを清算する」と、嘘と中傷で固められたビラを撒いたことに対して、抗議したブントのH君をひっぱたき、顔面にけがを負わせたことが発端である。それについては佐藤も小林もパックリと黙っている。そもそも、それがまず卑怯な態度だろう。」(高倉文章)

 もちろん「佐藤も小林もパックリと黙っている」のは、ありもしない「事実」をペラペラと並べ立てる高倉のようなペテン師の同類ではないからだが、それを「卑怯な態度」などとなじるのであれば、そもそも諸君らはどうなのか?。

 「97年7月8日に行なわれたロフトプラスワンでの鈴木邦男と荒岱介出演のトーク」の際には、護衛を引き連れて登場した荒岱介はもちろん、五味だの長田だのといったタイスケ一味の有象無象が百人近くもわいて出ていたではないか。にもかかわらず、どうしてアラも、その他も、そもそもH君本人も、質疑応答の時間にタイスケを追及する佐藤に対して「H君暴行事件」を持ち出して非難せず、抗議や言及すら行わず、イベントが終了するや否やそそくさと埼玉の巣窟に帰っていったのだろうか?。その上どうしてその後3か月間に渡って、「佐藤悟志によるH君暴行事件」について、「SENKI」紙上において一切触れようとしなかったのだろうか?。
 いや、それだけではない。その一週間後の7月16日に起こした第一次襲撃について高倉は、

 「このあまりにひどいビラを撒いた真意を佐藤に対して問いただし、さらにH君に対する暴力を自己批判するように求めようと、H君をはじめとした私たちがロフトプラスワンの手前で佐藤に話しかけた」(高倉文章)

 などと襲撃の動機を供述している。
 だが、以前の盗聴ブントの主張、例えば「SENKI」1997年10月15日号に掲載された『ロフトプラスワンの血気』においては、「「元戦旗」を名乗って「売春の自由」とか「反北朝鮮キャンペーン」を行うことに注意を促そうとなった」などというのが第一次襲撃の動機として上げられているばかりで、「H君に対する暴力を自己批判するように求めようとした」(高倉)などという動機は、文字通り一言も、ひとかけらも書かれていない。それどころか「佐藤がH君に怪我を負わせた」という記述すらないのである。にもかかわらず、事件から4年以上も経って書かれた高倉文章には、「H君に対する暴力を自己批判するように求めようとした」などという「動機」が、それこそ上高森遺跡に「前期旧石器」を埋め込む「ゴッドハンド」よろしくコッソリとつけ加えられている。

 これは一体どういうことなのだろうか?。

 答えは簡単で、「佐藤によるH君への暴行事件」などというペテンが、97年10月15日以降、つまりは事件から3ヶ月以上経ってからデッチ上げられた、盗聴ブントによる作り話に過ぎないからである。第一弾キャンペーン『ロフトプラスワンの血気』の出来があまりにも悪く、これではとても襲撃テロを正当化できないことに気がついたタイスケ一味があわててこしらえ上げた、暴行魔タイスケもお得意の冤罪捏造事件だからである。佐藤の肩書きや主張を並べ立てて、組織を批判したからリンチしたんだと言えば通用すると思っていたら、そんなテロ組織の常識が内外で批判されて通じなかった(例えば『江東社会科学研究所』)からこそ、「H君への暴行」などというデマが創作されて垂れ流されるようになったのである。

 そうでないというなら聞かせてもらおう。「97年7月8日に佐藤にひっぱたかれて顔面にけがを負わされたH君」なる人物は、そもそもどうして、事件から五年になろうとする今現在に至るまで「パックリと黙り込み」、自分では一言の反論もしようととしないのか?。

 それは結局「H君」なる人物が、デマぶんとの捏造に合わせて選び出されたニセ被害者であるが故に、ウソがバレるのが怖ろしくて表に出られないからであり、持ち回っている「左の頬のミミズ腫れ」なるものも佐藤とは無関係の子どもの頃にでもできた傷であることが、見る人が見ればバレてしまうからである。
 ちなみにこのH君、「SENKI」1997年10月25日号に掲載された『ロフトプラスワンの幕開け』によれば、佐藤に「右の頬に力いっぱいの平手打ちを喰らわせ」られたせいで「左の頬にミミズ腫れができるほどのダメージを負わされた」という、イエス・キリストもビックリの奇跡を体現できた人物だそうだが、佐藤的には是非とも公開の場に御登場いただいて、その御尊顔と「聖跡」を拝見したいものだ。そうすれば「H君」なる人物が実在するのかどうか、そして「佐藤に叩かれてできたミミズ腫れ」なるものが本当に存在するのかどうかを、皆で見て確かめることができるというものである。

 高倉のデッチ上げをさらに付け加えておこう。「だいたい佐藤はそれ以前にも、ロフトプラスワン内で喧嘩沙汰を何度も起こしていることは周知の事実ではないのか。」(高倉文章)などと、またもや使い古されたデマ宣伝をしかも自信なさげに並べているのがそれである。
 だが、そんな「事実」を証言する者は、ロフトのスタッフにも来店客にも誰一人として存在しない。唯一、「ロフトプラスワン非常連客有志/ファシストの暴力を許さない市民の会」を名乗る「団体」を除いては、だ。そしてこの「市民の会」が連絡先すら明らかに出来ず、模索舎のスタッフに誰何された途端に慌てて逃げ出す謀略組織であること、そのバラまいた怪文書『「襲撃を許さない共同声明」の自分勝手』が、つまりは盗聴ブントの自作自演によるデッチ上げであることは、それこそ全人民の「周知の事実」である。「佐藤悟志がロフトで喜納昌吉を殴った」などという、喜納昌吉本人すら覚えがない根も葉もないデッチ上げを持ち回って「佐藤のロフトプラスワン内での喧嘩沙汰」なるものを捏造してきたのがタイスケ一味であることは、もはやいかなる言い逃れも利かない「全人民の常識」なのである。

 ちなみに上記の類のデマ宣伝は、すでに『ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明』によって徹底的に否定され反論され尽くした代物であり、その反論を読んでも事実関係とデマぶんとのデマ宣伝について把握できるはずである。興味関心のある者は『共同声明/全記録』(販売:新宿「模索舎」 TEL 03-3352-3557)を参照するとよいだろう。「タカクラ」が、自分は「事件当日のメンバーではない」などと、模索舎のスタッフにまでウソをついてデマ宣伝を繰り広げていた様子も暴露されている。


2。以前に垂れ流したデマを忘れてついつい自白
語るに落ちた高倉テンネン


 さて、こうしたデマ宣伝を除いてしまうと、あとは語るも哀れなほどの自白と非常識なネゴトの開陳で、高倉の文章は埋め尽くされている。
 例えば高倉は、97年7月16日の第一次襲撃について、次のように述べている。

 「このあまりにひどいビラを撒いた真意を佐藤に対して問いただし、さらにH君に対する暴力を自己批判するように求めようと、H君をはじめとした私たちがロフトプラスワンの手前で佐藤に話しかけたところ、佐藤はその話を一切聞こうともせずにロフトプラスワン内に走り込もうとした。肩に手をかけて佐藤を止めたところ、佐藤が所持していたナチス棒(伸縮式の鉄パイプ)を取り出したために、殴り合いになったものだ。」(高倉文章)

 だが、以前の盗聴ブントの主張はどうなっていたか。
 例えば「SENKI」1997年10月15日号に掲載された『ロフトプラスワンの血気』においては、「穏やかに接した」ブントメンバーに対して、「ところが佐藤は、突如ナチス棒(特殊警棒)と催涙ガススプレーをとりだして「なんだてめえら」と向かってきたのである。」などと述べられていたはずだ。
 また「SENKI」1997年11月05日号に掲載された『ロフトプラスワンの波紋』でも、「抗議にいった仲間に対して、ナチス棒と催涙スプレーを振り回して襲いかかったのは佐藤悟志氏なのである。」などと、「文人正」こと荒岱介によってこれまた見てきたようなウソがホザかれていたはずである。

 ところが今回の高倉文章では、「私たちがロフトプラスワンの手前で佐藤に話しかけたところ、佐藤はその話を一切聞こうともせずにロフトプラスワン内に走り込もうとした」ので「肩に手をかけて佐藤を止めた」などと書かれている。
 つまり高倉はこの文章で、佐藤ではなく「ブント」の襲撃部隊の方が先に手を出したのだということを、自ら証言してしまっているのである。
 自分たちの話し相手をしないからといって不当逮捕同様の身体拘束を集団で行ったこと、しかもイベント開催直前に主催者に対してそれを行うという、集会破壊以外の何物でもない妨害に先に出たことを、ついつい当然のように自白してしまった高倉テンネン。まさに言論の自由も集会の自由も組織暴力で踏みにじって恥じない、左翼暴力団員の面目躍如である。

 ちなみに高倉は、「佐藤が所持していたナチス棒(伸縮式の鉄パイプ)を取り出したために、殴り合いになったものだ。」などと、あたかも佐藤が暴力を振るったかのようなウソを相変わらず並べているが、だったら「ひっぱたかれたH君」などよりもよっぽど被害を受けたはずの「ナチス棒で殴られたA君」だの「催涙スプレーをかけられたB君」だのという被害者は、どうして一人も出てこないのだろうか。

 答は簡単で、そんな被害者がそもそも存在しないからである。集団で待ち伏せていた一味の襲撃部隊によって佐藤がいきなり地下室に連れ込まれ、警棒もスプレーも取り出す暇がないまま一方的に集団リンチを受けたからである。こうした組織テロを好き放題やりながら、一方で「私たちこそ被害者です」などというウソを平然と垂れ流すタイスケ一味の振る舞いはまさに、無差別テロやリンチ殺人に手を染めながら平然とこれを否認し続けた犯罪カルト、オウム真理教の姿勢と同じものである。

 さて話を高倉の自白に戻そう。高倉は97年7月16日の第二次襲撃に対しても自白を行っている。いわく、

 「ちなみに、二度目の襲撃とされるその日のロフトプラスワン内での事件は、H君と私が、自分がH君をひっぱたいたことについては黙ったまま、被害者のように振る舞う佐藤に対してこみ上げる怒りを抑えることができずに、壇上の佐藤に対して殴りかかった事件である。」(高倉文章)

 つまり、第二次襲撃の様子を明確に記録したビデオの存在に怯え、事件から4年以上もパックリと黙り込んでイベント破壊をひた隠しにしてきた盗聴ブントが初めて公式に、ビデオに映っている襲撃者が自分たちであることを認めたわけである。それも、佐藤がロフトのステージで気に入らない振る舞いをしたからというチンピラの言いがかり同様の理由で、ただステージ上で話していただけの佐藤に集団で襲いかかって暴行を加えたことを、とうとう自白したというわけである。
 ちなみにこの高倉を含む第二次襲撃部隊だが、佐藤がブント批判を始めた途端に店の外から乱入してきたことが、ロフトのスタッフによって目撃されている。会場外で待ち伏せ・監視していた第二次襲撃部隊が会場になだれ込んできたのは、襲撃者の第一声「テメエまだ言ってんのか」からも分かる通り、それまで「北朝鮮問題」という当日のテーマに沿ってのみ発言していた佐藤が、イベントの最後になってブント批判を始めたことに対して、これを黙らせてブント批判を封殺するためである。
 「ブントへの批判を口外するなら、物理力を行使する場合もある」などという元活動家への恫喝を、ここまで露骨に実践しておきながら、なおもこれを「要するに喧嘩の延長である」などと言って正当化しようとする高倉及びタイスケ一派のウソつき体質は、まさにオウムにも共通する犯罪カルトの特徴そのものである。

 そして高倉はさらに自白する。2000年6月15日に起こした第三次襲撃についていわく、

 「これはそもそも再び中傷ビラが撒かれたことに対して、ロフトプラスワン内ではなく、店外に出て佐藤と討論しようと促した長田氏に、佐藤が手を払い、さらに佐藤と一緒にいたGが五万円もしたメガネを奪いレンズを割るという行為を働いたことが発端だ。」(高倉文章)

 つまりここでも高倉は、佐藤悟志がまったく暴力を振るっていないにもかかわらず、盗聴ブントが一方的に佐藤に対して暴力を振るったことを自白しているのである。
 ちなみに高倉は自己正当化のために順序を入れ替えているが、Gこと玄田生氏が長田武のメガネを攻撃したのは、長田や五味洋(戸籍名 矢部聡)その他が佐藤や玄田氏に一方的に襲いかかり、メガネの上から殴りつけて破壊する等の暴行をさんざん振った後のことである。最初は玄田氏も、一方的に暴行を受ける佐藤に自ら覆い被さって代わりに暴行を受けることで佐藤をかばい、自分からは手を出さなかったのである。しかし座ったまま耐えていた佐藤の顔面を長田が蹴り上げて怪我をさせるに及んで遂にやむを得ず反撃を行ったのであって、玄田氏の行為こそ、生ゴミ洋や長田ビンラディンのテロ襲撃に対する正当防衛以外ではない。これらの事実は、襲撃を止めようとして自分たちも被害にあったロフトプラスワンのスタッフによっても証言されている。


3。三里塚での内ゲバ襲撃まで自白!
内ゲバ主義を居直る高倉テンネン


 そしてテロリスト高倉の自白はまだまだ続く。

 「だいたい戦旗・共産同三里塚現闘団だった経歴を売りにする小林は、暴力を認めないなどというが、私は彼の指導・指揮のもとで、三里塚で他党派と殴り合いをしたこともあるのだが、それについてはどう総括してくれるのか。」(高倉文章)

 なんと高倉は、「指導・指揮」さえあれば三里塚での内ゲバも他党派への暴行も平然と行う内ゲバ主義者であることを、ヌケヌケと公言しているのである。
 ちなみにこの事件について小林義也氏はとっくに「共同声明/全記録」(1999年9月発売)において告白している。いわく、

 1986年、成田用水闘争の現場においてタイスケ一味が、戦旗西田派の部隊にゲバルトを行使した。小林氏自身がそこに参加していた。こちらが十数人で相手は二人だった。偶発的なものではなく会議での決定を経た組織的行動だった。機関紙などへの発表は一切なかった、等々。
 もちろん自らの内ゲバ襲撃への加担を悔いての告白である。(『三里塚の大地に跪きながら』

 だが現在に至るまでも、この内ゲバ事件についての盗聴ブント自身からの説明は一切ない。今回の高倉にしても小林氏の追及をかわすための材料として持ち出しただけであって、小林氏のように自身の総括や反省のために告白されたわけでは全くない。このように口先では「内ゲバの止揚」などと美辞麗句を口走りながら、裏では機関紙にも載せない内ゲバ襲撃や組織テロを行ってはひた隠しにしているのが左翼暴力団タイスケ一派の本性なのであり、それを自白したのがこの高倉の発言なのである。
 「どう総括してくれるのか」などと高倉は口走るが、そもそも下手人たる高倉自身はどう総括しているというのか。もちろん嬉々としてロフト襲撃を繰り返すぐらいだから総括も反省もしていないに決まっているが、テロ組織としての本音と営業用の建て前が百八十度見事にかけ離れた謀略カルト幹部の語るに落ちる自己暴露を、我々は断じて見逃さない。
 他人に総括など迫る前に、まずもって高倉及びタイスケ一派は、自党派が組織的・計画的になした内ゲバ襲撃について、日時と場所、参加者・責任者を明らかにし、全人民に釈明すべきであろう。

 また高倉は、小林氏の三里塚現闘時代についてダラダラとくだらないインネンをつけているが、その小林氏による、空港反対同盟の会議に対するタイスケ一味の組織的盗聴活動の暴露についてはなに一つ反論できていない。結局事実であることを認めるしかないから、黙ってやり過ごそうとひた隠しにしているのである。他人にインネンをつける前に、自党派による支援先団体への盗聴活動についてこそ高倉は総括するべきだろう。それとも内ゲバ襲撃のみならず盗聴活動にも自分で加担しているから総括できないのか?。

 平然たる暴力の行使と徹底したウソ八百はオウム的犯罪カルトの特徴だが、しかし真実はいずれ露見する。特に高倉のように、自分のウソを覚えていられないのにウソをつく、稚拙なペテン師の手にかかってはである。
 もっとも、この小林告発のみならず『検証内ゲバ』(社会批評社)での生田あいの告発にすらまともに反論できないくせに、「ブントは内ゲバとかやってこなかった」(「SENKI」2002年2月5日号)などと新たなウソをツキまくる荒岱介が稚拙でないというわけではまったくない。テロリストのくせに文化人だの反戦活動家だのを気取るこのペテン師師弟には、共に地獄に落ちてもらう他はもはやあるまい。


4。テロリストの本性をさらけだした高倉の
非常識なネゴトのオンパレード


 さて最後に、本人たちのなかでは「常識」なのだが、テロ組織とは無縁の市民社会ではまったくの非常識でしかない高倉の主張部分について分析してみよう。
 その非常識は、『9/24集会でのブントストーカー小林義也のビラに反論する』という文章タイトルにいきなり現れる。なんと、集会場で盗聴ブントを批判してビラを撒いただけの小林氏が「ストーカー」だと言うのである。
 いわゆる「ストーカー規制法」もあるように、ストーカーとはれっきとした犯罪者のことだ。つまり公開の場でタイスケ一味を批判したりビラを撒いたりするという、基本的人権に基づく言論・表現活動が、盗聴ブントの価値観においては処罰の対象とされるべき犯罪行為だというのである。まさにKGB支配やゲシュタポの弾圧を想起させる反人権的な発想である。かつて盗聴ブントの頭目アラタイスケが、人前で自分に恥をかかせたバスガイドに「権力の手先」というレッテルを貼り付けて殴打した暴行・冤罪事件はつとに有名だが、暴行魔タイスケの直弟子高倉テンネンもまた、師匠に負けず劣らぬ言論弾圧者・人権敵対者であることが、この「ストーカー」呼ばわりには示されている。これでいながら「立場の違いを越えて対話を」とかホザいているのだから、まさにペテンにも程があるというものである。

 続いて高倉は、(第一次襲撃の時に)「このとき佐藤は催涙スプレーまで取り出そうとしている。佐藤がただの人だというのなら、なぜ日常的にナチス棒や催涙スプレーを所持していたのだろうか。」などと口走る。
 だが、政治活動家が合法的な護身用具を所持していて一体何が悪いのか。そもそも「戦旗・共産同」時代に右翼や中核派に備えて武器を持つよう活動家を指導したのは党組織ではないのか。「ただの人」でなければ暴行されても仕方ないなら、戦旗社の歩哨が右翼に刺されるのも自業自得なのか。
 だいだい催涙スプレーぐらい、今時一般市民の女性だって持つこともあるだろう。それがどうして襲撃を正当化する理由になるのか。催涙スプレーを持ち歩いている女性も「ただの女」ではないから襲っていいことになるのか。まさにバスガイド暴行魔の直弟子集団らしい、犯罪者的な価値観の開陳である。

 また高倉は第二次襲撃について、「組織的犯行ではなく個人的憤激である。ロフトプラスワンそのものに対する襲撃でもなんでもない。要するに喧嘩の延長である。」などとヌカしている。同一の組織に属する複数の活動家によって一人に連続して暴行を加えておきながら、個人的な喧嘩だとはネゴトもいいところである。例えば日中戦争でもベトナム戦争でも略奪や暴行が横行したが、この結果に対して日本軍や米軍は責任を負わなくてもいいとでも言うのかね?。「個人の喧嘩」などと言う弁明を組織の公式サイトで行わせる盗聴ブントの二枚舌は、いかがわしい金を集めながら発覚すると「秘書が勝手にやったことだ」と言い訳して追及を逃れようとするウス汚い悪徳政治家と同様の、典型的な責任逃れの手口である。
 「当事者としてロフトプラスワンに迷惑をかけたことについては悪かったと思っている。」などと高倉は、「なにぶん興奮していたもので」というタイスケ同様の「チンピラ謝罪」を口にしてみせるが、詫び状も書かず謝りにも来ないまま、他人の悪口を書き散らす文章の合間に漏らす言いわけじみた片言は、「大の男が頭を下げてるんだから水に流せよ」というヤクザの居直りとどこが違うのか。
 タイスケ一味の幹部山根克也「佐藤以外の被害者には謝っている」などと口走ったそうだが、そんな謝罪が行われたとはロフト関係者の誰一人として証言していない。いつ、どこで、誰が、誰に対して謝罪したのか、得意のホラ話でないのならば説明して見せろ。
 ちなみに高倉らによる「第二次襲撃」によって被害を被ったのは店だけではない。97年7月16日当日の北朝鮮企画に参加していた来店客全員もまた、その対話と討論をタイスケ一味の暴力で破壊された被害者である。「悪かったと思っている」などというセリフがとりあえずその場を逃れるための口先だけのポーズでないのなら、少なくとも公式に謝罪文を書いて、ロフトの掲示板にでも張り出してもらうべきだろう。

 そして最後に高倉は、タイスケ一味がなんら集会趣旨を共有しないまま政治的マルチ商法に利用するだけのために9/24行動にもぐり込んでいたことをあらわにするセリフを放つ。いわく

 「自分に直接関係のない「暴力事件」を持ち回り、集会参加そのものを妨害する、味噌糞一緒の小林は矮小である。」(高倉文章)

 だがそもそも9/24行動とは、ニューヨークでの同時多発テロにもアフガンへの空爆にも「自分に直接関係のない」市民が、にもかかわらず我が事として考え、行動するという前提の元に結集する行動ではなかったのか。「自分に直接関係ない暴力事件を持ち回るのは矮小である」などという百八十度正反対の価値観の持ち主が、一体何の資格があって参加者ヅラできるのか。行動趣旨などカケラも理解していないくせにデモや集会にヌケヌケと入り込む高倉らこそ、真の意味の集会破壊者である。『テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動』がその美名にもかかわらず「味噌糞一緒」に汚れてしまうのは、まさにタイスケ一味のような「糞」が潜り込んで、反戦キャッチセールスのダシに使い回すからだ。それを摘発し糾弾した小林義也氏の行動こそ、真の参加者の名に相応しいというものである。


 以上、高倉典膳こと前田浩喜の自白とペテン、そしてテロリストたる本性の開陳について、全面的にえぐり出してきた。自ら第一次襲撃・第二次襲撃への参加を公言し、なおかつそれを居直りながら第四次襲撃を行った高倉テンネンは、一方でこんな気弱なセリフで駄文をまとめている。

 「小林はもう少し頭を冷やして、自分の頭の中にあるバーチャル空間と現実を分けて考えたほうがいいと思うぞ。そのほうがあなたの人生にとっても展望があるのではないか。」(高倉文章)

 まさにこれこそ、ネット上などの「バーチャル空間」での批判がとめられないから、せめて「現実」空間である闘争現場でビラを撒くのはヤメテ、という高倉の悲鳴である。居丈高な姿勢とは裏腹に、せっかく囲い込んできた「在家信者」、さらには盗聴ブントに帰依して安心立命を得ている「出家信者」である自分の洗脳を解かないでという哀願が、この「高倉文章」最後の行からは滲み出ている。
 だがしかし、骨の髄までテロリズムが染み込んだ暴行魔・前田浩喜に対しては、もはやその政治生命の抹消を以て報いるしかないだろう。たとえどのようなペテンを弄しようとも、このネット時代にはいかなる逃げ場も存在しないことを身を以て体験し、佐藤悟志を敵に回したことを悔やみながら残りの人生を暮らすがいい。貴様に入れられたテロリストの焼き印は一生消えることがないのだから、他人の人生の展望を心配している場合ではないぞ、高倉テンネン。


2002年03月01日


「ブント清算事業団」

代表管財人 佐藤悟志




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